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【民俗学で紐解く】きさらぎ駅を考察する【きさらえぎとは?正体を探る】

ベイビーリトル
この記事ではきさらぎ駅のお話について、民俗学を元に考察していくぜ
具体的には下記の点についてだ
  • そもそもきさらぎ駅って何?
  • なぜ太鼓の音と鈴の音が聞こえてきたのか?
  • 片足しかない男は何者なのか?
  • 伊佐貫トンネルとは?
  • トンネルの先にいた謎の男

 

民俗学を元にきさらぎ駅を考察していく

 

そもそもきさらぎ駅って?

検索しても一向に有力な情報が出てこない以上、この世に存在しない駅だと考えます。
それがあの世かはわかりませんが。

時空の狭間にある駅なのか、それともこの世とあの世の間に存在するのか、少なくともこことは違う世界に存在するんでしょうね。

と、いう前提を元に下記を読み進めてください。

 

太鼓の音と鈴の音

 

電車から降り、きさらぎ駅に降り立ったひとみさん
無人駅らしく、あたりには誰もいない
きさらぎ駅に止まるか、それとも行動するか悩む
はすみさんは悩んだ末、電車の進行方向とは逆の方向に進むことにした
そうすれば帰れると信じて。
しかし歩いていると、太鼓と鈴の音と暗闇から響いてくる……。

 

鈴は不浄を払い、太鼓は神様への捧げ物

 

神様との交流の宴である神楽では、太鼓を使って神様をもてなします。
また、世界各地で見ても、神様を降ろしたり、捧げ物をする際には太鼓に限らず、楽器を用います。
これは人間をトランス状態に移行させるとともに、楽器の音色は神様への捧げ物である、という意識があるからです。

 

また、民俗学においては、鈴の凛とした音色は不浄を祓う役割を持ちます。
神社の拝殿前に大きな鈴がついているのは、神様の前に立つ前に、今一度自分の体の穢れを祓うためです。

 

ベイビーリトル
手や口をすすぐ手水舎は穢れを祓うため(行水の役割を簡略化したもの)であり、
神社の鳥居は神域に穢れが入ってこないようにするためのものだぜ

 

そして神様は鈴の音が大層好みだそうです。

 

きさらぎ駅の話において、線路の上を歩いていると太鼓の音と鈴の音が聞こえてきたはすみさん。
民俗学においては、

 

太鼓の音は神様への贈り物であり、神様を降臨させる神事を行っている最中。
鈴の音は、行われている祭事の空間(つまり神様が降臨なさる空間)を清浄に保つために鈴の凛とした音を使っていた。

 

と考えられます。
要は神様を降臨させるお祭りを行っていたというわけです。

 

片足がないおじいさん

もとの世界に戻るためにレールの上を歩いているはすみさん。
すると、後ろから声をかけられた
「おーい、線路の上を歩いちゃ危ないよ」
びっくりして振り返るはすみさん
そこには片足のないおじさんがいた……

 

片目、片足の人物は神様への贄、あるいは神意を伝える存在であった

 

柳田國男氏によると、

曰く、一つ目小僧は多くの「おばけ」と同じく、本拠を離れ系統を失った昔の小さい神である。
見た人が次第に少なくなって、文字通りの一つ目に画にかくようにはなったが、実は一方の目を潰された神である。
大昔いつの代にか、神様の眷属にするつもりで、神様の祭りの日に人を殺す風習があった。
おそらくは最初は逃げてもすぐに捉まるように、その候補者の片目を潰し足を一本折っておいた。
そうして非常にその人を優遇しかつ尊敬した。犠牲者の方でも、死んだら神になるという確信がその心を高尚にし、よく信託予言を宣明することを得たので勢力を生じ、しかも多分は本能のしからしむるところ、殺すには及ばぬという託宣もしたかも知れぬ。

 

 

要は、神様の眷属にするつもりで、人を殺していた。
最初は逃げてもすぐ捕らえられるようにと、その候補者の目を潰し、足を折っていた。

 

そしてその人を非常にもてなし、死んだら神になれるという確信がその候補者の心を高尚なものにした。
また神意を託宣としていただけると言うことで、そういう候補者の勢力も次第に強大になっていった。
みたいな感じです。

 

ベイビーリトル
古代エジプトの王、アメンホテプ4世は、神意を聞く神官の影響力があまりに大きくなりすぎたために、都を移したぜ。
それくらい神の意見は重要なものであり、重要な神の意見を聞ける存在の力は偉大だったぜ

 

また、人間として5体満足の状態よりも、神様はいずれかの部分が欠損している方が好まれました。
例えば近江国伊香群(現滋賀県長浜付近)では、水神に対して美しい娘の生贄を奉るという風習がかつてあり、当地では生贄となる娘は必ず 「片目が選ばれ」ました

 

柳田國男氏によれば、
神が二つ目を待った者より一つ目を好んだからだそうで、一つ目の方が神と一段親しくなれたのだそうです。

 

おそらく5体満足の状態はあまりに人間然としているからでしょう。
そこから足や目が一本でもなくなれば、こちら側(人間ではない側)に近づいている、という認識です。

 

上記を踏まえてきさらぎ駅で登場した片足のおじいさんのことを考えましょう。
まず欠損しているのは片足だけですが、もしかしたら目も片目だったかもしれません。
これは夜だったこともあり、はすみさんが見えていなかった可能性もあるからです。

 

また、片足であったこと、異界であるきさらぎ駅で登場したこと、この2点により片足のおじいさんは人間ではない存在になりつつあると考えられます。

 

ではおじいさんは何のためにきさらぎ駅にいたのか?
太鼓の音と、鈴の音、そして神様に好まれる欠損した部位を持つ人間。
おじいさんは生贄として存在したと考えます。

 

なので太鼓の音と鈴の音は、神事の際の音色です。
要はお祭りみたいなものがあの空間で行われており、そこにちょうどはすみさんが居合わせたということです。そして片足のおじいさんは贄として捧げられる予定であった。

 

生贄とは誰か(人間の)の願いを叶えるために、誰か(神様へ)にお願いする行為です。
が、きさらぎ駅に限っては誰の願いなのか、誰へのお願いなのかは一切不明です。

 

はすみさんに後ろから「線路の上を歩いちゃ危ないよ」と声をかけてきたおじいさんと一緒に行動をしていれば、この答えに辿り着けたかもしれません。

 

あるいは、はすみさんが神様なのかもしれません。
古来より異界からやってきた人を”マレビト”と称してもてなす文化がありました。

 

はすみさんを追うように鈴の音と太鼓の音が近づいてくる

日本古来より異界から来た存在を「まれびと」と称して祝福する文化があった

 

日本の民俗には村を訪れる神や異郷からの旅人を歓待し、その祝福を受ける信仰がありました。
これは今現在の日本でも脈々と受け継がれています。

 

例えば青森のナマハゲ、沖縄のキンマモン神など。
また、まれびとは各地を放浪する祝言職や乞食もなんかも含まれます。
今現在の見解においては閉じた村に新しいDNAを呼び込めるメリットがまれびと信仰につながった、といったものが多いように感じます。  

 

ひょっとするとはすみさんは母体として役割が、きさらぎ駅の世界ではあったのかもしれません。
そんなはすみさんへの捧げものは片足のない男性であり、ひょっとすると片足のない男性こそがお相手かもしれません。

 

欠損している存在は神意を聞くために、神様が乗り移る体としても機能します。

 

伊佐貫トンネル

きさらぎ駅から電車の進行方向とは逆の方に歩いていくと、トンネルを見つけた
中は異様に暗く、灯りは一つもない
後ろからは鈴の音と太鼓の音が近づいてくる
意を決してはすみさんは伊佐貫トンネルへと入っていった……

 

あの世とこの世を隔てる境界が存在する

 

トンネルはあの世(異界)とこの世(私たちが暮らす世界)を隔てているのだと考えます。

 

境界、と呼ばれるものは民俗学において無数に存在します。

 

神域と穢れあふれる人間の世を隔てているのは、鳥居。
村の入り口に存在する地蔵も、村を守護するために設置されています。
つまり村の外と内を隔てる結界。
そして三途の川はあの世とこの世を隔てています。

 

イザナギノミコトも妻を連れ戻すために黄泉比良坂(よもつひらさか)と言う洞窟のような場所を進みます。
暗く、深く、冷たいその道はどこかトンネルと通じるものがあります。

 

伊佐貫トンネルはまさに私たちの世界ときさらぎ駅の世界を隔てる結界なのだと思います。

 

ベイビーリトル
ちなみに伊佐貫トンネルの名前も、イザナギとイザナミに似ているので関連があるのでは? と考察する人もいるぜ。
イザナギはイザナミを連れ戻すために黄泉の国へ行くぜ

 

トンネルを抜けた先に存在する男

伊佐貫トンネルを抜けた先に男が立っていた
その男ははすみさんを車に乗せると申し出、近くの駅まで送り届けてくれることに
しかし次第に山道に入り、駅へ行く気配などなくなり……

 

この世からやってきた人をあの世へ送り届ける役割を持っていた

 

あの世とこの世を隔てている場所において、渡し守として人が存在することがあります。
身近な例で言えば、三途の川の船頭さん。
亡くなった人に六文銭を授けるのは、あの世への船を出してくれる船頭さんへの運賃です。

 

ベイビーリトル
そしてあの世とこの世を隔てる三途の川を渡ってもらうというわけだぜ

 

これは何も日本だけの風習ではなく、死者に授けるお金のことを冥銭といい、世界各地で見られます。

また古代ギリシアでも死者の口の中に硬貨を入れる風習がありました。
これも理由は同じで、船の渡し守のカローンに渡し賃として渡すためでした。

 

その点を踏まえて、この世の終わり、あの世の始まるのところにいる男について考えてみましょう。
まさしくこの世からあの世へ送り届ける存在に思えます。

 

トンネルを抜けた先にいた男が現在位置を言っています。
「今いる場所は(静岡県富士市)比奈」であると。
トンネルを抜けると、元の世界に戻っていることがわかります。

 

ベイビーリトル
そう考えると、はすみさんが乗っていた電車はこの世からあの世へ送り届ける存在であったと考えられるぜ。

 

ではなぜトンネルの先に立っていた男は山の方へ走り出したのか?

 

情報があまりないので想像になります。
トンネルがあるということは、山があります。
もしかしたら男は、トンネルを使わず、山道を走ってまたはすみさんをこの世へ送り出そうとしていたのかもしれません。

 

ベイビーリトル
トンネルを使わなかったのは、トンネルを使う渡し守がまた別に存在し、車の男ではトンネルを使用することが許されていなかったから、と勝手に考えているぜ

 

男が謎の独り言を呟きだしたのは、はすみさんが運賃を渡していなかったからかもしれません。
仮にお礼としてお金を渡していたら、そのまんまはすみさんはあの世へ行っていたかも。

 

ベイビーリトル
ちなみに三途の川を渡る運賃がない場合、見ぐるみを剥がされてしまうぜ

 

さて、これ以降のきさらぎ駅のお話を簡単にさらっておきます。
伊佐貫トンネルを抜けた先にいた男の車に乗せてもらうはすみさん。
近くの駅に送り届けてくれるとのことだが、走っている道はどうみても山道。

近くに駅があるとは到底思えない。
しまいには、男がぶつぶつと訳のわからない言葉を呟き出してしまう。
怖くなったはすみさんは隙を見て逃げ出す決心をする。そしてここで書き込みは終わる

 

伝説となったきさらぎ駅の投稿から7年。
はすみさんと名乗る人物が後日談を奇譚blog(というブログ)に載せた。
内容は下記の通りである

 

ぶつぶつと独り言を言う例の男が森の中で車を停めたところ、突然光が見えた。
光の中から歩み寄ってくるひとりの男性。そして車に衝撃が…。

気づくと、運転していた例の男は消えていた。
光の中から現れた男性は「運転手は消した、今のうちに逃げるんだ」「光の方へ歩け」と「はすみ」に告げたという。

 

しかしこの上記ソースも魚拓も見つけられなかったので、個人的にはなんだかなぁといった感じ。
オリジンと言えるのは2004年1月8日〜1月9日にはすみさんが投稿したものであると考えています。

 

なので上記考察もオリジンのみを取り扱っております。
ひと段落したところで、とりあえずまとめといきましょう。

 

【民俗学で読み解くきさらぎ駅】まとめ

 

  1. きさらぎ駅ってなんぞ?
    この世にはない、異界に存在する駅2、太鼓の音と鈴の音が持つ意味
    太鼓の音は神様への捧げもの。そんな太鼓の音がしていたことを考慮すると、祭事が行われていた。
    鈴の音は空間を清浄に保つ効果がある。神様を降臨させる空間、祭りを行う空間を清浄に保つために鳴らしていた。
  2. 片足がないおじさんが存在した意味
    体が欠損している存在は、贄として非常に神様に好まれた
    ゆえにこのおじいさんは神様への贄であると言える
    祭事が行われていたことを考えると、神様へ捧げる祭りの真っ最中であったのだろう
  3. 伊佐貫トンネルって何?
    この世とあの世(異界)を隔てるトンネル
  4. 伊佐貫トンネルを抜けた先に居た男は?
    この世からあの世(異界)に送り届ける役割を持つ男。三途の川で船を渡してくれる船頭と同じ
    山道を走り始めたのは、はすみさんを異界へ連れ戻すためだと考えられる

 

さて、ここではすみさんが投稿した一連の「きさらぎ駅」についての考察は終わりになります。
これ以降では、異界駅から帰る方法について、民俗学を踏まえつつ考察していきたいと思います。

 

民俗学を元に解説する、異界駅から帰る方法

きさらぎ駅から帰る方法1、飲食しない

 

黄泉戸喫(よもつへぐい)

 

黄泉戸喫(よもつへぐい)という概念が存在します。
これは、あの世のものを食べると、この世に戻れなくなる、と言うものです。

 

同じ釜の飯を食う、という言葉もあるように、その共同体で食べられているものを食べ物を食べるということは仲間になるという意味合いが強い。

つまり一度出された食べ物を食べたら、もう元には戻れない、という意味を持つ
なので異界で出された食べ物を食べたら、自分が元いた世界には戻れなくなる。
その異界の仲間の一員になってしまう。

 

ベイビーリトル
クレイジージャーニーの丸山ゴンザレスさん(ジャーナリスト)もその地域の人と仲良くなるために、出された食べ物はとりあえず食べる、と番組でいっていたぜ

 

それぐらい同じ食べ物を食べる、という行為は帰属意識を高くしてくれるってことです。

 

きさらぎ駅から帰る方法2、名前や場所を忘れない

日本には言霊信仰があります。
言霊信仰とは文字の通り、言葉には力が宿るという信仰。
今の私たちにわかりやすい例を出すと、死を連想させる4を避けるのにも通じています。

 

そして名前はとりわけ力を持っており、
相手の真名を知るということは、相手を支配するということになります。

 

なので昔は直接人の名を呼ぶことは少なかったです。
例えば鎌倉幕府の源頼朝なら鎌倉殿、平安時代の権力者、藤原道真なら御殿、と呼びました。

 

千と千尋の神隠しでも、湯婆婆と千尋が契約する際、契約書に名前を書かせます。
これは相手の名前を知り、呪術的に支配しようという魂胆です。

 

ベイビーリトル
支配が象徴的なのは、千尋の名を書き換えて、”千”と、相手の一番重要な名前を勝手に決める箇所だぜ

 

しかし千尋が名前を書き間違えたことにより、支配は完全にはかかりませんでした。
その結果、千尋はこの世界から抜け出すことができました。

 

そんな力のある自分の名(真名)を忘れるということは、強大な力を失うことと同じです。

 

場所を忘れないのは、自分がどこに所属する存在なのか、はっきりと認識しておくためでしょう。

 

きさらぎ駅から帰る方法3、声をかけてられても答えない、振り向かない

 

俗にいう見るなのタブーです。
日本の神話や世界の神話にも見られます。
例えば妻を取り返しに黄泉の国へ行くイザナギも、妻から後ろを歩く私の姿は見ないでください、というもののイザナギは途中で振り返ってしまい妻の腐乱した姿を見てしまいます。

 

ちなみに妻を生き返らせるために冥界へ挑んだオルフェウスも、途中で振り返ってしまい妻を甦らせるという願いが成就することはなかったぜ

 

残念ながら、なぜ「見るなのタブー」が神話に存在し、どんな意味を持つかは不明です。
好奇心は猫を殺すことを教訓として伝えたいからかもしれません。

 

なので異界駅から出る方法としての、
・声をかけても答えない
・振り向かない
は、神話に影響を受けただけの項目で、特定の意味を持つものではないと思います。

 

きさらぎ駅から帰る方法4、何かを燃やす

民俗学において、火は不浄を祓う神聖なものです。
巫女装束の赤ももともとは火を連想される(不浄を祓う)ために赤色になりました。

 

灯籠などに火を灯すのも、灯籠がある空間を清浄に保つためです。
ある種の結界みたいなものですね。

 

黄泉の国は穢れに満ちているとされます。
黄泉の国から帰還したイザナギも、体を洗い、穢れを落としました。

 

そんな不浄に溢れた世界で自分を清浄に保つことが、燃やすことの目的であると考えます。

 

あれ、鈴の音も空間を清浄に保つことが目的だと書いてあったけど、どう違うの?と言う疑問も出てくると思います。
鈴の音も空間を清浄に保つことができますが、あれは神祭を清浄に保つことが目的です。
迷い込んだ人が火を灯す目的は、自身を穢れから守ることです。

 

ちなみに葬式なんかでお塩をもらいます。
あれも自宅に入る前に(あるいは玄関で)自分の背中を塩で払います。
あれは死者は穢れていると考え、その穢れを払うために塩を用います。

 

ベイビーリトル
もちろん宗派によって故人は穢れていないと言う考えもあるので、必ず葬式に参加したら塩をもらえると言うことでもないぜ

 

 

【民俗学で読み解く異界から脱するためにすべきこと】まとめ

 

  • 異界で出された食べ物を食べない
    その共同体で出された食べ物を食べると言うことは、その共同体の仲間になると言う意味を持つ
    無事に戻りたければ、異界で出された食べ物には口をつけない方がいい
  • 名前や場所を忘れない
    日本には古来より言霊信仰があり、その中でも自分の名前(真名)は極めて強大な力を持つ
    そんな名前を忘れたり、相手に知られてしまうことは、自分の支配権が他人にわたることになってしまう
    無事に戻りたければ、自分の支配権は自分になければならない
    また場所を忘れない、の項目は自分がどのコミュニティに所属するかを認識するためである
  • 何かを燃やす
    火は不浄を祓うものとしては、古来より神聖視されてきた
    ここで火を灯すことは、自身をこの異界の穢れから自身を守る意味を持つ

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