誰か考察してほしいなぁ
上記のような人に向けた記事となります。
結論、人の苦しみに興奮してしまう少年のお話でした。
読みたい人は下記からどうぞ
「老人と孫」の考察
おじいちゃん(老人)の考察
おじいちゃん(老人)はこんな人
・娘への接し方がわからない
・暴力をふるっていたとまでは言わないが、娘とまともな付き合い方はしてこなかった
上記の根拠です。
引用:老人と孫
まず娘が日常的に子供に対し暴力を振るっていることにたいし、まともに叱ろうとしていません。
そして男を連れ込む娘にたいし、おじいちゃんが注意するシーンがあります。
そのとき娘からかえってきた一言。
「孫にやさしいんだね」
「そんなに大事なら2人でどっかいってよ」
おそらくですが、おじいちゃんの娘への付き合い方は、
- 暴力をふるっていた
- あまりかかわることができずにいた
のどちらかになるかなと。
おじいちゃんの過去は描かれていないのでなんとも言えませんが、
親から子供への暴力は、往々にして親自身もその親から受けているものです。
孫に優しいのは娘への接し方を後悔しているからこそなのかなと。
読み切りだけ見ると温厚そうなおじいちゃんですが、過去も温厚であるとは限りません。
娘を見ても自分の感情をうまくコントロールできていないように感じます。
おじいちゃんの娘を考察
おじいちゃんの娘はこんな人
・父(おじいちゃん)にあまり大事にされてなかったと感じている
・すぐ寝るタイプ
・息子への接し方がわからない
上記の根拠です。
孫の父親がいっさい登場しませんでしたが、死別ではないでしょう。
おそらく逃げられたか、離婚したかだと思います。
漫画に登場した彼氏(?)もロクな人物ではありませんでした。
娘にとっての父親と、息子がいる家にあがりこんでS○Xをするという暴挙!
娘はとにかく男運が悪そうです。
それもこれも、彼女が愛に飢えているからだと思います。
愛されたいがために体を簡単に渡してしまうのでしょうね。
そしてやりたい男はやれたら目的達成です。
あとは知りません。当然のお話ですね。
愛に飢えている理由は、おじいちゃんがうまく娘と付き合ってこなかったからだと思います。
そして子供の一番の教師は親です。
娘が自分の息子への接し方がいまいちわからないのは、おじいちゃんがうまく実演することができなかったからです。
ちなみにちらっと写ったアルバムにも、母親と子供が一緒の写真はありませんでした。
おじいちゃんの孫を考察
おじいちゃんの孫はこんな人
・日常的に暴力を受けている
・死/死に近い人物を見ると、興奮してしまう性癖もち
・親を殺したのは憎いからではなく、自身の快楽のため
いちばん闇深い人物。
それがおじいちゃんの孫。
作中の孫の顔を見てもらえばわかりますが、傷やあざの位置が毎度違います。
日常的に母親から暴力を受けているのでしょう。
孫は2つのイベントを通じて、自分の異常性癖を理解してしまいました。
1つは親のS○Xシーン。この時は勃○しないことを体感しています。
引用:老人と孫
彼氏は勃○しているのになぜ自分は?
と考え、この時に自分の異常性を薄々感じ取ったと思います。
次はおじいちゃんの妻にお見舞いに行った際。
衰弱してぼけたおばあちゃんを見て、孫は勃起します。
引用:老人と孫
この2つのイベントを通して、孫は自分の性癖を悟ったことでしょう。
「死/死に近い人物を見ると、興奮する」と。
「じいちゃんは何も悪くないよ」「全部じいちゃんのおかげなんだ」の意味
引用:老人と孫
「大地(孫の名前)がつらいのは知っていた」
「なにもできなくてすまん」
と、孫に涙ながらに謝罪するおじいちゃんのシーンがあります。
娘の子供への態度、それを正すことができない自分への不甲斐なさ。
そういう思いが詰まった言葉です。
その後に孫が、
「じいちゃんは何も悪くないよ」
「全部じいちゃんのおかげなんだ」
とセリフが続きます。
一見すると、その通りです。
直接の加害者は娘ですから。
おじいちゃんは悪くありません。
しかし「全部じいちゃんのおかげなんだ」から逆算して考えると全部変わってきます。
まず「全部じいちゃんのおかげなんだ」の意味ですが、
これは自分の性癖に気づけたことに対する感謝です。
「大地(孫の名前)がつらいのは知っていた」
「なにもできなくてすまん」
「じいちゃんは何も悪くないよ」
「じいちゃんは何も悪くないよ」
何が悪いんでしょう。
この次のセリフは自分の性癖に気づくことができた感謝のセリフ、
「全部じいちゃんのおかげなんだ」です。
となると孫が「じいちゃんは悪くない」と言っているのは、”自分の性癖に気づけなかったこと”に対して悪くないと言っています。
「(自分の性癖に気づけなかったことについて)じいちゃんは何も悪くないよ」
「(自分の性癖に気づけたのは)全部じいちゃんのおかげなんだ」
つまりおじいちゃんが言った「つらい」の中身は、
実の娘が息子に対する接し方のことや、暴力のことを言っています。
そして孫が受け取った「つらい」の言葉は、
「興奮すべきタイミングで興奮できない異常性と、ならどこで興奮するのか? という不安」によるものです。
孫と老人で、問題としている箇所が大きく違っていたわけです。
おじいちゃんは娘の子育ての仕方について悩んでおり、孫は自分の性癖について悩んでいました。
なので孫が娘を殺したことに、復讐や恨みといった感情はないと思います。
ただ近くにいたから、くらいな理由かと。
快楽を求めて殺人を犯したからこそ、ラストの小学校での事件につながってくるわけです。